人と自然の距離を縮めるしまなみ野外学校。木名瀬 裕が託す想い
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人と自然の距離を縮めるしまなみ野外学校。木名瀬 裕が託す想い

FC今治が取り組む教育事業のひとつに「しまなみ野外学校」があります。ヒューマンディベロップメントグループ長の木名瀬 裕(通称:がってん)さんに、立ち上げに至る逸話、学校で起こるドラマや今後への想いを聞きました。

旅人、猟師、災害ボランティアを経て、カヌーガイドへ

――しまなみ野外学校を立ち上げた経緯を教えてください。

僕がしまなみ野外学校をやろうと決めたのは、7年前、中国から帰国したばかりの岡田さん(武史:株式会社今治.夢スポーツ代表取締役会長)と東京で飲んでいたときです。僕は当時、北海道でガイド業をしていて、岡田さんともガイド業を通じて親交がありました。

「実は俺、今治のサッカーチームをやるんだけど、サッカーだけじゃないんだ。生きる力や誰かの背中を押すような、遺伝子にスイッチを入れるようなことがしたいんだ。一緒にやらないか?」と言われて、「うん。それだったらいいよ」となぜかすごい上から目線で答えたんです(笑)。

その帰り道、事務所に電話しました。「もう会社閉めるから。買うもんあったらみんな買っていけ」って。若い連中に会社を全部売り飛ばして、1週間後にもう僕は今治にいました。

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木名瀬 裕(きなせ・ひろし 通称:がってん)1969年生まれ、神奈川県出身。通称がってんの由来はNOと言うことをやめ、全部YES、YES、なんでもやるよ! と言っていたら「あいつ、がってんだな!」と呼ばれる様になったことからだそう。

順を追って話すと、僕は東京生まれ、神奈川育ちのシティボーイなのですが(笑)、中学時代は日本を歩いて横断するような子でした。高校時代は沖縄まで自転車で行ったり、北海道を歩いて1周したり。日本は行き尽くしたから、18歳で海外に暮らしました。

僕は寂しがり屋で、だけど独りが好きでした。だから、幼いころから自分で決めて動くことはごく自然でした。両親は厳しかったので、自由にするには「計画書を出せ」と言われ、日本横断の際もパンツ1枚何グラム、スプーン1本何グラム、お米何グラムと測り、食べ物は何カロリーまで全部計算して、分厚い企画書をボンっと両親の前に置きましたね。

海外に渡ってヨーロッパで暮らした際、あるアフリカ人に言われたんです。「俺たちの国では大人になる儀式でライオンを捕るんだけど、おまえの国は?」って。今だと絶対うそだと思うんですけど(笑)。でもその後、ヨーロッパの山を歩いて回っていて、北海道の山でヒグマに遭遇した日のことを思い出したんです。僕は18年間生きてきて、何でもできる自信があった。だけどあのヒグマを見た瞬間はさすがにビビった。そんな自分の体を置き忘れて、気持ちだけが地球の裏側に逃げてきた感覚になったんです。「クマを捕らないと大人になれない」。そう思って、20歳前に帰国しました。

帰国後は、北海道で熊撃ちの猟師に弟子入りして、熊猟生活をしていました。

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▲熊猟時代

その数年後、阪神淡路大震災が起きたんです。神戸に向かった僕が目の当たりにしたのは、大きな街が一瞬にして壊滅した現実。避難している人たちは、寒いとか食べられないとか大変な状況でした。でもふと疑問に思いました。寒ければ火をたけばいいのに、水も知恵を使えば工面できるのに。僕は壊れた家の柱を切って避難所に釜戸を作ったり、炊き出しをしたりしました。それを半年ほど続けるうちに、「いつのまにか人は自然との距離が開いてしまったんだ」と思ったんです。

「もう一度、人の暮らしと自然のリズムが近づくことをしたい」。そう思い、高知の四万十川でカヌーガイドをはじめました。テント、寝袋、鍋、釜、食器をカヌーに積んで、日常の暮らしを非日常の暮らしから見つめると、「人の暮らしと自然のリズム」が近づくと思ったんです。その後戻った北海道でも、ガイド業で暮らしました。時代はアウトドアブームとなり、僕の会社は軌道に乗っていました。

ガイド業の限界と次世代への想い

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▲2018年の豪雨災害での被災地支援活動をTOPチームも行う。支援活動を円滑に行えるのは、がってん率いる野外の部署があってこそ


そして、今度は東日本大震災が起きた。僕はまた現地へ向かいました。そこで目にしたのは、神戸の震災と変わらない光景でした。

僕はガイド業を通じて、人の暮らしと自然のリズムを近づけようと取り組んできました。神戸の震災から東日本大震災まで、述べ5万人ほどにガイドしたと思うのですが、世の中は何も変わっていなかった。そのとき思ったんです。僕の残りの人生を考えるなら、今伝えるべき相手は、これからを生きる若者たちだと。

そう考え始めたころに、冒頭のとおり岡田さんと飲んだんです。あの決断時に考えていたのは、次世代はもちろん、一歩踏み出す人をひとりでも多くサポートしようということ。それから、サッカーの会社でやる価値。サッカーって世界で一番人気があるスポーツだと思うんです。そこでの挑戦は、より広い発信力になる。僕がどんなに頑張ったってタッチしたのは5万人だったんですから。
新しい開発のエネルギーになることや、異業種でやることで速度が上がる期待が、当時の僕にはありました。

野外体験はひとつのきっかけ。社会そのものが冒険

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――しまなみ野外学校の活動について詳しく教えてください。

しまなみ野外学校の目的は、野外体験を通じて子どもたちの「生きる力」を育み、地球環境への関心をもってもらうこと。具体的には、小さな子連れファミリーや小学低学年を対象に自然体験プログラムを、小学高学年から若い世代を対象に長期キャンププログラムを実施しています。

実はそれ以前から、僕はガイド業の傍らボランティアで子どもたちに自然教室をしていました。ボランティアの世界でもいいと思っていたけど、それだと体験で終わってしまうところがあって。そのとき、お金は何のためにあるのか考えました。僕が出した答えは「お金はありがとうの引換券」だということ。だとすれば、お金が発生してもしなくても変わらない。むしろお金の使い方が大事に思えたんです。

この夏、しまなみ野外学校5周年特別企画で開催した「海遍路/山遍路:瀬戸内アドベンチャー320キロ」では、最初に旅の予算すべてを子どもたちに渡しました。ありがとうをどう表現するかが旅のエッセンスのひとつだったんです。

だから、僕がしまなみ野外学校でこだわっているのは、野外体験や冒険ではありません。それはひとつのきっかけでしかない。社会そのものが冒険だと思っています。

日常にはない「気づき」から社会や自分に向き合う

――夏の一大イベントである7泊8日の「島の冒険キャンプ」も終わったばかりと伺いました。今年はどんな旅でしたか?

全国から13人の子どもたちが参加しました。例年同様の気温でしたが、今年は体が弱い子が増えた印象です。面接選考で体力と体調の2点は重要視しているので、ある程度想像していたし、予定通りにやるつもりもないけど、なかなか事が進まなかった。

僕たちスタッフは、できるだけ口出ししないと決めています。ただ、今年に関しては途中でプログラムを変え、命を守るフェーズを作りました。木陰で昼寝の時間もとりました。でも、そこで彼らは気づいたはずです。自然の厳しさや木陰の涼しさに。日常では感じられない「気づき」があるのが、島の冒険キャンプです。

そして、このキャンプで毎年最初に子どもたちに「気づき」を与えるのが、2日目の昼食づくり。一人ひとりが食べる分量を自分で決め、火をおこしてご飯を炊きます。渡されるマッチはひとり10本。

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慎重に柴(しば)を組める子、何となくマッチをする子。何も考えずに次々マッチをすり、「できなかったー!」と明るく僕のところにマッチをもらいに来る子もいます。僕は当然「やらない」と突っぱねる。炎に包まれた隣の釜戸を横目に、最後の1本をする決断ができないまま、泣きじゃくる子もいます。僕はグッとこらえて見守ります。

釜戸を組んで1時間もすれば、ご飯が炊けた子と、マッチを使い切って途方に暮れる子にはっきり分かれちゃうんです。社会構造のような話です。勝てばいいのか、お金をたくさん持てばいいのか。その人たちがいかにお金を流すかと同じで、マッチを2本しか使わずご飯が炊けた子には残り8本ある。やがてハッと気づき、僕に頼みに来るんです。「僕の残りのマッチを使い切った子にあげてほしい」と。

分けてもらったマッチで、再び釜戸に向き合う子どもたち。横顔はススで汚れ、涙でぐしゃぐしゃです。子どもたちが長く向き合ったのは、きっと釜戸にではなく、自分にでしょう。

昼食づくりで知ってほしいことは、自分が食べる量、自分の技術レベル、そして「できないことを認め合う」こと。助けてもらうことは恥ずかしくないし、できた子ができなかった子に与えたつもりになることもおかしい。そんなものは両方が同じだと、肌で感じてほしい。
冒険キャンプは、そこから始まる1週間です。その入り口から一人ひとりが社会を感じ、自分に向き合い、仲間とゴールを目指します。

「生きる力」を育てる肥料になりたい

会社がよくこんなリスクをとるなと思います。予算の問題だってある。超大型企画の海遍路山遍路の参加費は無料でした。それは、FC今治がサッカーだけではなく教育事業や地域貢献活動に挑戦していること、しまなみ野外学校が自然の中でリスクをかけ「生きる力」を育む活動をしていることに、賛同してくださるパートナー企業のおかげです。

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この活動が、参加者の中でいつ芽を出すかは分かりません。こちらがどんなに想定して作っても、プログラムは一人ひとりの自己表現の場として成り立っているからです。終了直後に感動がない子もいます。忘れたころに「がってん、僕、山村留学に行くことにした」と電話をくれる子、今治を心の故郷だと語る子、今治に引っ越して来た子もいます。
何年後でもいい、別の分野でもいい。「あのときのあれが……」と、一人ひとりのペースで「生きる力」が双葉を広げ、花を咲かせる肥料になれることが、しまなみ野外学校の喜びです。

――子どもたち向けのプログラムのほかに、組織づくりのための「研修事業」もあるそうですね。

主に企業や団体向けに、しまなみ野外学校ならではのプログラムを提供しています。できるだけ組織の課題や対象者のニーズを聞いてプログラムを組んでいます。期間も半日から7日間までさまざま。子どもたち同様、自然の中で仲間とゴールに向かう実体験を通じて、「気づき」を提供しています。

弊社社員向けにも実施しています。地図とコンパスを使い、4人1組で山中を巡るサバイバルトレック研修を受けた社員が言います。「独りは本当にちっぽけで、文明の利器がないと、仲間がいないと、1日暮らすだけでも大変だと知る。人が生きていて、地球があって、自分は生かされていると肌で感じる」。そして、それは仕事も同じだと気づくんですよね。

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▲企業研修の様子

「里山スタジアム」で営みへのしかけをしたい

――しまなみ野外学校や木名瀬さんご自身の今後の展望を教えてください。

人は地球の上に生きていることを、さらに意識した活動がしたいです。なおかつ、岡田さんの言葉を借りれば「遺伝子にスイッチを入れる」活動を、過度な“THEチャレンジ”の形でなく、もっと暮らしの中に織り交ぜていきたい。

「365日のにぎわい」をコンセプトにしている里山スタジアムでも、営みへのしかけをしたいですね。サッカーの試合だと、スタジアムに人が来るのは年間2〜30回。そこに野外活動を入れて、人が毎日開墾するみたいなことができるといい。例えば、里山スタジアムに段々畑を作る話があるので、一部を自分たちが石積みで作るとか。雨が降ったらどう水が動くかなど、自然環境的な側面も知りながら汗をかくと面白いと思います。

また、みんなで作り上げていくスタジアムだとも思うので、既製品ではなく、自分たちで作ることにもトライしたい。ベンチにしても、山から木を切り出して運んでくるとかね。

あとは、自然に負荷がかかっているものを里山スタジアムに上手く取り入れられないかと思っています。ちょうど来月、中・高校生が無人島にゴミ拾いに行くんです。拾った海洋プラスチックゴミでコースターを作ります。そんなふうに、例えばスタジアムで使う食器を全部ゴミから作るなど、里山スタジアムで自然環境に関心を持ってもらうきっかけも提供したいです。

広げた間口からの波及を信じて

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――ガイド業で5万人にタッチしても届かなかった経験から、しまなみ野外学校を立ち上げて5年。今はどう感じていますか?

正直なことを言えば、僕がまた何万人に野外体験を提供することはできないと思っています。もうおじいちゃんですから(笑)。僕が10人に向き合ったときに、その10人が次の10人に向き合ってくれたらいいなと思う。

FC今治を選び、しまなみ野外学校をはじめたことで、僕がそれまでタッチできなかったコミュニティーの10人にタッチできるようになったと思います。間口は広がり、共感者も増えた。その先の人々が、さらにあらゆるコミュニティーに、次世代につないでくれる。その波及を信じています。

取材・文/高橋陽子

▼しまなみ野外学校 Facebook
https://www.facebook.com/shimanamiyagai/

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FC今治を運営する株式会社今治.夢スポーツです。noteでは「心の豊かさ」をテーマに、トップチームの活動のみならず、「しまなみ野外学校」などの教育事業や、地域全体で1つのサッカーピラミッドを創る試み「今治モデル」など、企業理念の実現に向けたの様々なチャレンジの舞台裏を発信します。